スタッフ
スタッフ – 院長 増渕 一成
増渕 一成 (院長:鍼灸師・あん摩マッサージ指圧師)
氏名
・増渕 一成 (ますぶち かずなり)
出身地
・栃木県 鹿沼市
趣味
・読書(専門書、ノンフィクション)
・熱帯魚(小型魚)
・落語鑑賞(柳家喜多八LOVE)
モットー
・心の平和
好きな言葉
・立って半畳寝て一畳。天下取っても二合半
略歴
高校時代まで鹿沼で育ち、北海道の大学に進学。
大学卒業後、デザイン系の仕事に就き広告等を手がける。
その後、福祉に目を向けるが、福祉や介護の仕事も尊いけれど、介護されずに済むようにできたらもっと喜んでもらえるのでは?と思い至り、国際鍼灸専門学校に入学。
在学中から東洋医学の理解をより深めようと、古典的な治療法を学ぶため、文京はり研究会に入会。体のバランスを整えて心身をゆるめる鍼術を習う。
はり師・きゅう師・あんまマッサージ指圧師の3つの国家資格を取得したあと、郷土で治療院を開業。あらゆる病気の元となる、首や背中のこりをゆるめて、心身がラクになる治療を行う。
開業してからも、鍼灸治療に欠けている筋骨格系の治療技術を学ぶため、様々なセミナー・勉強会に参加。
そのなかで活法研究会・整動協会に出会い、小さな力で筋肉・ツボを調整し、痛み・痺れ・コリをコントロールする治療を行うようになる。
現在は整動協会の提唱する碓井流活法(整体)と整動鍼法を施術の2柱としている。
生い立ち
私は生まれつきの虚弱体質で、毎週のように風邪や腹痛で病院通いをする家族泣かせでした。
生まれた時も仮死状態だったそうです。
それでも指が6本あるように見えるほど手はしっかりしていて、治療家になるように授けていただいたのかも知れません。
子供のころ、ある治療家に助けられて人並みの体力を得られました。それだけでなく、高校では競技山岳(荷物を背負って山をかけ登る)ができるほどになりました。スポーツを退いた今でもめったに風邪もひきません。
しかし、子供のころ毎週のように寝込み、火照ってだるい体とボンヤリした頭でぼーっと見つめていた天井を忘れることはないでしょう。
体を丸めてキリキリと痛むお腹を抱え、ひたすら痛みが遠のくことだけを祈っていたことも忘れられません。
「他人の痛みは解らない」と言いますが、こういった体験(トラウマ)があるため、「この人はこんな風につらいんだな」と自分の体に感覚を再現して共感することが他の人より得意だと思います。そしてそれをどうしたら軽減できるかと考えることで治療につなげています。
災い転じて、という言葉どおり、人生に無駄はないのだと感じます。
病気のつらさ、健康のありがたさが身に沁みています。
そして今では私が治療する側になりました。
「あなたと健康の幸せを分かち合えることを楽しみにしています!」
治療家を志したきっかけ
私には大きな人生の転機が2つありました。
1つ目は虚弱体質から健康な体を手に入れたことで、このことが直接の志望動機となりました。
2つ目は祖父の死です。
祖父は私が鍼灸学校1年目に心筋梗塞が原因で、1月半の入院を経て亡くなりました。倒れる直前まで仕事をしていましたから、世間の理想である「ピンピンコロリ」の部類でしょう。
私はこの体験から多くのことを学びました。その中で一番大きなものは祖父の「生き様」です。
祖父は旅行やちょっとどこかに出かけた時でも、何かしら土産物や特産品を「死んじゃ食えないぞ」と言ってちょこちょこ食べていました。可愛らしい行動ですよね。しかしそこには『今、人生を楽しむ』という姿勢が見えます。そしてそれができたのも、健康な体があったからです。
誰の世話にもならず、好きな所に出かけて食べたいものを食べる。
こんな何でもないことも健康でなければできません。
楽しい人生の基本は健康にあると改めて教えてくれた祖父に感謝し、この時から志をより強くいたしました。